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ご意見箱
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from R.D.
読者の皆さん、おはようございます。
最近素敵なブログ「山と川のあいだで」を見つけて時々コメントをさせてもらっていたら、そのブロ友(ブログで知り合った友達のことをこう呼ぶらしい。知らなかったのは私だけかも!)の方が油絵をUPしていらっしゃいました。あなたもも載せてみたら、という言葉を戴いて、思ってもいなかったのですが、載せてみることにしました。
大切なもの_a0145735_7393170.jpg

これは水彩用の色鉛筆で描いたもので、小さな池の端にある茶屋の絵です。これを描いた当時、既に主は無く、今はもうその家さえも無くて、草が生い茂っていますが、この茶屋には昔おばあさんがひとり住んでいらっしゃって、ピーナツとかあめ玉とかほんの数種類の駄菓子を商っていらっしゃいました。

子供の頃、なにがしかの小遣いをもらって弟とふたりでバスに乗って町に出かけ、お菓子を買っているうちにお小遣いを使いすぎてしまって、気が付くと帰りの分のバス代が足りなくなっていました。もうお日様が西に傾く頃で不安になったものの、バスがなければ歩いて帰るしかないと、今になって知れば7キロほどの家路を、ふたりで歩いていた時のことです。

あれは秋のことでしたか、風も少し冷たくなるし、どんどん日は傾いてあたりが薄暗くなってしまって、けれど、田舎のことですから、山を越えなくてはうちに帰れず、ふたりで手をつないで山を越えていた時のこと。ちょうど山を越えたあたりにこの茶店があったのです。なんだか、山の中で迷った人が人家を発見する時はこうもあろうか、というほっとした気持ちになったとたん、すっかりおなかが減っていることに気が付き、おそるおそる、「ごめんください。」と言って中をうかがうと、ひどく腰の曲がった小さなおばあさんが奥の方から出ていらっしゃいました。もう外は薄暗いのに、店の中は灯りもついておらず、おばあさんの顔さえよく見えないほどです。そういうようなことですから、菓子が置いてあるのはわかるものの、どんなものがあるのかはよく分からないのでしたが、ピーナツ20円ください、といって、20円分のピーナツを買ったのです。

もう45年ほども前のことでしょうか。当時、駄菓子屋ではばら売りをしていて、10円分のピーナツというと、秤で量ってその分を薄い紙の袋に入れて売ってくれました。それがちょうど小さい子供の手に持てるくらいの量でした。このピーナツ菓子というのは、落花生をせんべいのようなものでくるんで、焼き、それに醤油の味を付けたもので、今も商品として売っているものです。ですから、暖かい子供の手で大切に持って食べていると、だんだん外側の甘辛い醤油が溶けて紙にくっつくので、食べ終わる頃にはその紙を丁寧に剥がして食べました。

話がそれてしまいましたが、こんなわけで、この店は哀愁を感じる特別の店なのです。

幼い頃の思い出というのは、実は私にはそれほどドラマチックなものはありません。田舎の暮らし自体が、そもそもあまり変化のないものだったからでしょう。が、ある日見たひどく紅い夕日とか、勉強部屋の前にある木の葉からしたたる雨だれの様子とか、すっかりへこんでいた時に父がくれた「青い鳥」のチルチルとミチルの像とか、特別な思い出もそうは思えないような小さなことも、頭の中にはすべてが深くしまい込まれているのです。普段思い出すことがないような小さな記憶の断片が、かすかな匂いや、風の吹き方、雨だれ、音、そんなふとしたことがきっかけでまざまざと思い出されてくる。そうしてみれば、一生の間、日々重ねてゆく小さな事々の積み重ねが、その人の人生そのものになるということであり、このひとときをどう過ごすか、どうとらえるか、ということは決しておろそかには出来ないと改めて思いました。
思うとおりに歩めばいいのよ
ターシャ・テューダーの言葉
メディア・ファクトリー発行

ターシャ・テューダーといえばテレビで何度も放映されたこともあり、日本ではナチュラル・ガーデンで有名だと思うが、彼女はコルデコット賞を受賞するほどの有名な絵本作家でもある。自分が育った日常を基本にした絵本が多い。やさしい絵だ。そしてすばらしい人形作家でもある。こちらの方は商業的なものではないが、自分の子供たちのために作った彼女の人形を見ると、とても素人の作品とは思えないほどに手が込んでいる。
彼女は、絵を描くのは売るため、生活のため、そして球根をもっと買うためだと言い放つ。彼女にとって、庭は彼女自身であり、彼女の人生そのものという位置づけである。

人間は好きなことをして生きるのがいちばん良い生き方だと、彼女は言う。

この言葉だけに注目すると自己中心的だととらえることも出来るが、彼女の生き方を知ると、それはとんでもないことだということが分かる。

好きなように生きることは、人の言うことに従って生きることよりもある意味でむしろ困難が多い。自分の成す事全てに自分で責任をとってこそ、自分の好きなように生きるということが完結されるからだ。そのためには深く自分を見つめなければならない。自分が欲していることは何かを、常に自分に問わなければならない。そうした不断の努力があって初めて「思うとおりに歩む」ことが出来るのだ。

自分がどうしたいのか、何が好きなのか、こういうことは簡単に分かるようでいて、実は深淵をのぞかないとわからない。自分が嫌いなものは意外に分かりやすい。いろいろやってみて消去法で自分を精錬してゆく。そのような過程が必要なのだ。その意味から、やり直すということに躊躇するべきではない。

私は55才になるが、年をとればとるほど、だんだん自分の中心にあるものが見えてくる気がする。ずっと前に、仏像を彫る職人が「仏像は彫るのでない。木の中に眠っている仏像を私が彫り出すのだ」と言うのを聞いたことがあるが、自分を理解するのはこれに似ていると思う。自分のことでも、案外自分では分からないものだし、また、深く考えること無しには決して見えてこないものだと思う。自分のなす事全てについて、これは自分の本意か否かということを常に問わなければならないと思う。これを繰り返して初めて、わたし、というものが見えてくる。
# by cahiersauvage | 2010-05-10 21:37 | 本の紹介
Weighed Down
posted by Kevin N. Haw

During a business trip to Boeing's Everett, Wash., factory, I noticed several 747 and 777 airliners being assembled. Before the engines were installed, huge weights were hung from the wings to keep the planes balanced. The solid-steel weights were bright yellow and marked "14,000 lbs.(6350Kg)" But what I found particularly interesting was some stenciling I discovered on the side of each weight. Imprinted there was the warning: "Remove before flight." -quoted from R.D

仕事でボーイングの工場を訪ねた時のこと。
747と777のエンジンが取り付けられている最中だった。エンジンは大変思いので、バランスをとるため、翼には黄色いおもりがいくつか取り付けてあり、それぞれ14,000ポンド(6,350kg)と書いてある。そしてその横にはこんなことも。
「飛ぶ前には取り外すように」
訳:野澤
筑摩文学の森3 幼かりし日々
筑摩書房

これは筑摩文学の森、というシリーズの一冊。装丁は安野光雅。
中原中也、辻まこと、ファーブル、マンスフィールド、泉鏡花、ヘッセ、などなどの短編や幼少時の思い出を集めた本だ。このシリーズは他にも美しい恋の物語、心洗われる話、変身ものがたり、おかしい話、思いがけない話、恐ろしい話、悪いやつの物語、怠け者の話など別巻を合わせて16冊から成る。どれも、物語の楽しみを十二分に味わえる。全集を買うことはほとんど無い私だが、これは全部そろえた。どの一冊をとっても楽しく読める。これだけの秀逸かつ楽しめる物語を選出するには一体どれほどの作品が読まれたことか。しかも翻訳がとても良い。
最近は本離れといわれるが、こんなにも心楽しくなる物語が知られないままに時が過ぎるのはどうももったいない。
アマゾンで検索した結果、今は古本となってわずか1円、2円で手にはいるのもある。是非春麗らかな午後、木陰で読書などされたらどうだろうか。
# by cahiersauvage | 2010-05-09 19:36 | 本の紹介