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ラムネのラムネたるもの

子供の頃、緑色の分厚い瓶に入ったラムネを飲んだ。

ラムネの瓶は他の瓶とは全く違った形でひどく驚かされた。しかしもっと私を惹きつけたのはその中に入っている小さいガラス玉だ。瓶を傾けてラムネを飲むたびにチリチリと音をたてる。思い切り傾けるとガラス玉が栓になってラムネが飲めない。決して取り出すことが出来ないガラス玉。

一体どうやってこのガラス玉をこの瓶に入れたんだろう。その不思議に私は長いこと取り憑かれた。私にとってラムネといえば、取り出せそうでどうしても取り出せないガラス玉だ。

一昨日、その斬新な発想に惹かれてラムネを買ったので飲んでみた。容器はかろうじて昔の形に似たものを保っているが、素材はプラスチックを使っている、が、ここまではまあいい。しかし、私がラムネの本質としているガラス玉は、、、、蓋をひねると簡単に取り出せた。

”子供の頃、著者の家の床にはちょうどビー玉が入るくらいの節穴が空いており、その中にビー玉がすっぽりはまりこんでいた。指を入れても、細い棒を差し込んでも、近くまで来るもののどうしてもビー玉を外に出すことは出来ない。そうなるといよいよそのビー玉が気になり、何が何でもそれを手に取ってみたいとあらゆる手を尽くした結果、とうとうある日、そのビー玉をジイドは手にした。しかし、手にしたとたんに、それまで焦がれていたビー玉はどうしようもなく凡庸なものになってしまったのだ。”
アンドレ・ジイドの「一粒の麦も死なずば」という作品の中だったと思うが、こんな回想があったのを思い出す。