連休が始まった。
まぁ、私にとっては毎日が連休みたいなもんだけど。それでも世間が会社に詰まって働いているのに、自分だけのんびり仕事している日はちょっと悪い気がする。けれど、今日からしばらくはみんなと一緒に休み。皆さんも楽しんで!
私の連休はまず草刈りから。なんといっても草刈りは好き!いい匂いがするし、草は引くよりも刈った方が地面にやさしい。草を抜くのは刈るよりも気持ちがいいけれど、抜いたあとで地面から水蒸気がどんどん蒸散して、残しておいた植物がへこたれてしまうから。草を刈ってその場に倒しておくと、大事にしている草花にお日様が十分当たる上に水分も保たれてよろしい。
「おまえ、あそこの草刈ったの?」と、父のいないあいだに草刈りをすませた私に、父が聞いた。刈ったようには見えないのです。なぜかーータンポポやウマゴヤシやレンゲなど、あちこちに生えている好きな花々を残して刈るので、虎刈りならぬ水玉刈りなのです。とくにウマゴヤシとレンゲは刈らないようにしています。これら豆科の植物は空中の窒素を、自分の根(根瘤)に固定して、地面に栄養を与えてくれるから。見栄えはともかく、実を取りたいし、第一どれもあちこちに固まって咲き乱れる姿は美しい。整然と一列に並んだり、円を描いたりして咲いている珍しい花やよその国の花よりも、芽生えたままに生えているのを見るのが私は好きです。人の手が入っていないものには、美しさはもとより、すてきな驚きがある。ごく小さな珍しい虫がとまっていたり、思いもかけないような植物が生えていたり、カナヘビくんが葉っぱの蔭で涼んでいるのに出会うことだって出来る。植物を含め、いろんな生き物がそれぞれの分をわきまえつつ、様々に存在しているのが、私の住環境の理想です。Nature loves variety, culture hates it.
だから、私が刈ったり抜いたりするのは、隣の草花を枯らしてしまうほどに生い茂るものや、蔓草のように隣近所の住人の上におっかぶさってお日様の光を独り占めするような植物。こういう人たちにはちょこっと遠慮してもらいます。そのためにだけ、刈ったり抜いたりするだけです。だから、大好きな草刈りも、暖かくなってどんどん植物が生い茂るようになった今、やっと出来るようになりました。春まだ浅い頃は、庭にやっと兆した緑が愛おしくて、とても抜く気になどなれないのです。コヌカグサやチカラシバ、ハコベ、ナズナ、そのほか無数の、野草図鑑にしか載っていないか、あるいはそれにさえ載っていないものでも、私にはとても大切。
山野のような庭を毎日観察していると、どの植物も自分に一番合ったところに育っているということがよく分かります。嫌だなと思うとだんだん、好きな方へ移動してゆくのです。ただ、時間はかかりますが、、、その植物時間も私にとっては心地よい。
会社勤めをしていた頃は植物時間を受け入れるどころか、そんなものが存在することすら念頭にありませんでした。効率よく仕事をしないと気が済まない質なので、会社ではもちろん、家でも、家具やものの配置なども動線が最短になるように配置していました。けれど、市場経済が行き詰まり、なぜか、それと時を同じくして私自身も壊れて、仕事を辞め、大好きな前の山をつらつら眺めて暮らしてみると、効率がいいということにどれほどの価値があるのか、と思う。「早くしてね」を連発する私に、「そんなに急いでどうするの?」と保育園の娘から聞かれて、絶句したのを今もよく覚えています。単にてきぱきしたいということが早くする理由だった、ということをその一瞬に自覚したので。
所詮、我々はエネルギー保存の法則に従ってしか生きられないのであり、ほ乳類が一生の間に打つ鼓動の数はほとんど同じらしいなのであり、従って、ガンガン鼓動を打って早く死ぬか、ボコンボコンとゆっくり打って長く生きるかのどちらかではないのか?
まぁ、私にとっては毎日が連休みたいなもんだけど。それでも世間が会社に詰まって働いているのに、自分だけのんびり仕事している日はちょっと悪い気がする。けれど、今日からしばらくはみんなと一緒に休み。皆さんも楽しんで!
私の連休はまず草刈りから。なんといっても草刈りは好き!いい匂いがするし、草は引くよりも刈った方が地面にやさしい。草を抜くのは刈るよりも気持ちがいいけれど、抜いたあとで地面から水蒸気がどんどん蒸散して、残しておいた植物がへこたれてしまうから。草を刈ってその場に倒しておくと、大事にしている草花にお日様が十分当たる上に水分も保たれてよろしい。
「おまえ、あそこの草刈ったの?」と、父のいないあいだに草刈りをすませた私に、父が聞いた。刈ったようには見えないのです。なぜかーータンポポやウマゴヤシやレンゲなど、あちこちに生えている好きな花々を残して刈るので、虎刈りならぬ水玉刈りなのです。とくにウマゴヤシとレンゲは刈らないようにしています。これら豆科の植物は空中の窒素を、自分の根(根瘤)に固定して、地面に栄養を与えてくれるから。見栄えはともかく、実を取りたいし、第一どれもあちこちに固まって咲き乱れる姿は美しい。整然と一列に並んだり、円を描いたりして咲いている珍しい花やよその国の花よりも、芽生えたままに生えているのを見るのが私は好きです。人の手が入っていないものには、美しさはもとより、すてきな驚きがある。ごく小さな珍しい虫がとまっていたり、思いもかけないような植物が生えていたり、カナヘビくんが葉っぱの蔭で涼んでいるのに出会うことだって出来る。植物を含め、いろんな生き物がそれぞれの分をわきまえつつ、様々に存在しているのが、私の住環境の理想です。Nature loves variety, culture hates it.
だから、私が刈ったり抜いたりするのは、隣の草花を枯らしてしまうほどに生い茂るものや、蔓草のように隣近所の住人の上におっかぶさってお日様の光を独り占めするような植物。こういう人たちにはちょこっと遠慮してもらいます。そのためにだけ、刈ったり抜いたりするだけです。だから、大好きな草刈りも、暖かくなってどんどん植物が生い茂るようになった今、やっと出来るようになりました。春まだ浅い頃は、庭にやっと兆した緑が愛おしくて、とても抜く気になどなれないのです。コヌカグサやチカラシバ、ハコベ、ナズナ、そのほか無数の、野草図鑑にしか載っていないか、あるいはそれにさえ載っていないものでも、私にはとても大切。
山野のような庭を毎日観察していると、どの植物も自分に一番合ったところに育っているということがよく分かります。嫌だなと思うとだんだん、好きな方へ移動してゆくのです。ただ、時間はかかりますが、、、その植物時間も私にとっては心地よい。
会社勤めをしていた頃は植物時間を受け入れるどころか、そんなものが存在することすら念頭にありませんでした。効率よく仕事をしないと気が済まない質なので、会社ではもちろん、家でも、家具やものの配置なども動線が最短になるように配置していました。けれど、市場経済が行き詰まり、なぜか、それと時を同じくして私自身も壊れて、仕事を辞め、大好きな前の山をつらつら眺めて暮らしてみると、効率がいいということにどれほどの価値があるのか、と思う。「早くしてね」を連発する私に、「そんなに急いでどうするの?」と保育園の娘から聞かれて、絶句したのを今もよく覚えています。単にてきぱきしたいということが早くする理由だった、ということをその一瞬に自覚したので。
所詮、我々はエネルギー保存の法則に従ってしか生きられないのであり、ほ乳類が一生の間に打つ鼓動の数はほとんど同じらしいなのであり、従って、ガンガン鼓動を打って早く死ぬか、ボコンボコンとゆっくり打って長く生きるかのどちらかではないのか?
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by cahiersauvage
| 2010-04-29 20:14
| 足るを知るものは富めり