カテゴリ:人生を彩ってくれる人( 4 )

中学校の一年先輩で生物クラブでも世話になった川合はるよしくんが我が町関市の市会議員に立候補した。

中学の時、体育館の入り口にある靴箱のところで「成せば成る、成さねば成らぬ、何事も」と川合君が言ったことを覚えている。放課後のクラブ活動が始まるときだった。どんな脈絡で言ったのか、誰に向かっていったのかすっかり忘れてしまったが、その情景と言葉はずっと覚えている。

私は生物クラブという、蛍を観察して保護するためのクラブに属していて、川合君も一緒だった。後輩のわたしにいろんなことを丁寧かつ理論的に教えてくれた印象がある。中学では一年先に生まれたからといって先輩風を吹かす人が大半だった中、川合はるよし君はそういうことが一切無く、好感が持てた。裏表のない誠実な人、という印象を持っている。

一方、高校も一緒の学校だったが、彼と同じクラスだったわたしの友人の証言によると、彼はある日みんなが普通な意見を述べる中、ひどく突拍子もない答えをまじめな顔をして発言して皆を笑わせたことがあって、彼女もはるよし君のことはよく覚えているという。彼女にとって、はるよし君はユーモアのある人として印象に残っているらしい。

はるよし君はその後ものすごく良い人と結ばれ、その子どもたち三人のうち二人までがわたしの娘と同じ年で、子どもも仲良し、母親同士も仲良しという関係が今も続いている。

あれは保育園に下の娘が入って間もない頃だったと思うが、「ゆったり子育てしてみえるみたいで、いいわねぇ」とにこやかな笑顔で声をかけてくれたのが奥さんの恵子さんだった。このあたりでは知らない人に気軽に声をかけるということは滅多にない。そんな中、親しげに声をかけてくれた人にわたしはすっかりうれしくなって言葉を返したことを覚えている。あれもとても印象的な出来事だった。そのときは彼女がはるよし君の奥さんだとは少しも知らなかったが、類は友を呼ぶということであろう。以後、保育園で会うたびに立ち話をすることが多くなり、子どもを一緒に遊ばせたりして仲良くなった。互いの子供らが独立してうちを出た今は二人で一緒にお菓子を食べながらいろんなことを話す。

市会議員といえば私たちの生活に最も身近であるべき存在でありながら、これまでは誰がなっても私たちには縁の遠い存在だった。その存在を知るときといえば葬式の弔電が読まれるときくらいである。本人が弔電を打つのでなく、係の人が新聞をチェックしてほぼ自動的に経費の中から弔電を打つに違いない。あんまり意味無いなぁと思いながらも、まあそんなもんだ、くらいで深く考えなかった。どこやらの市議会議員団が海外視察に行って、娯楽的な行事も経費で落としたなどというニュースを聞いても、それほど怒れない。そんなことはあるべきではないと知っていながら、あまりにもそういうことが頻繁で常態化しているために、いちいち怒りを表明するエネルギーさえ殺がれてしまっているのだ。そもそも市会議員というのは半ば名誉職みたいなところがあって、その時点ですでにその職が依って立つべき本来の基盤が崩れているように思う。

はるよし君が立候補したという思いがけない話を聞いて、上のようなことを改めて思った。政治は私たちの手で作るべきものだ。

選挙前には前に傾斜していた体が当選したとたんに後ろに傾斜するという議員は多く見られるが、はるよし君は全く別の種類の人間だ。政治家が政治家たるべき視点を彼は持っている。こういう人が当選して、市政に一石を投じてくれることを願う。

川合はるよし つれづれ ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/kawaiharuyoshi_sight
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昨日雪がまた積もったので、うちの前の道路はすっかり凍り付いて、散歩に行きにくいなぁと思っていたところが、近くの工事に来ていた岩見鐵工のお兄さんが、前にしゃべるみたいなのが付いた重機でザザザーっとあっという間に雪かきしてくれました。全然関係ないとこなのに。
運転席に乗っているのはまだ若いお兄さんでした。犬の散歩に行くときお礼を言ったらちょっと照れくさそうにしていました。

工事はこういう人のいるところに頼んでもらいたい。職員が優しい気持ちでいることのできる会社はいい会社に違いないからだ。

先日もうちのセンダンの木が電線に掛かっているというので、それを切りに、トーエネックという会社の人が来て切ってくれた。大好きな木なので、切った木の枝が欲しいといったら、トーエネックのおじさんは快く承知して、庭に置いてってもらえばいいという私に、いやいやうちも助かるからと言って、同じ長さに切りそろえて庭の端にきちんと積んでくれた。ストーブの煙突を見て薪にするんだろうと察してくれたにちがいない。事実、そうしようと思っていた。トーエネックは良い会社です。少なくとも親切なおじさんのいる会社です。

私は回り道をしてでも特定のガソリンスタンドに行く。従業員の人がとても楽しそうに働いているから。そこの会社は新海燃料といって、ガスも販売している。もちろんガスもそこに頼んでいるし、水回りもガス湯沸かし器も、そこで売っているものは全部買っている。ガスボンベを持ってきてくれるおじさんも、ガソリンを入れてくれるお兄さんも、メーターを調べに来るおばさんも、給湯器を修理してくれるおじさんも、この会社はどの人もみんなが機嫌良く、楽しそうに仕事をしている。人に会うと話をしたくなる私は、仕事のじゃまをしながらいろんな話をするが、どの人も例外なく親切で気さくな人だ。こういう会社の社長の人柄が偲ばれる。ずっと前、14年も使った給湯器がある冬の日に壊れたのであわてて電話したら、セールは昨日までだったけどおまけしておくわ、なんて言って、セールの時の値段で付けてもらった。ちょびっと貧乏なときだったのでものすごくうれしかった。ひょっとして私の顔に貧乏相が出ていたのかも!??

というわけで、岩見鐵工のお兄さん、トーエネックのおじさん、新海燃料の皆さん、親切にしてくださってありがとう。ずっと忘れません。
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この年になって新しく、かつ素敵な出会いに恵まれるとは努々思っていなかった。しかし、今年は正月からおみくじ入りのケーキでそのおみくじが当たり、幸先がいいと思っていたら、昨日のことである。素敵に輝く人に出会った。別に頭が光っているわけではない。

一目見た瞬間から、大変聡明な輝きを感じて、是非お話を伺いたいと思っていたら、その願いも叶ってお昼を食べながらしばしお話しする機会に恵まれた。彼女の口からシュタイナー教育などという、かつて人の口からは聞いたこともない、私が大事に思っている言葉が発せられてすっかりうれしくなった。

幼稚園に行っているお子さんにはテレビを見せていない。7時に寝かせる。
この時代にテレビを見せないということはかなり大変だが、幼児期なら制御しやすい。私も娘らが小さいころは、流行しだしたテレビゲームを買わなかった。テレビも一日一つの番組、1時間以内、ということに決めていた。子どもから文句が出ると「うちはうちである」の一言で却下していた。下の子が小学校2年の時、中学校で英語を教えてくれないかという依頼があって、面白そうなので教えに行った。仕事自体はとても面白かったが、帰宅はいつも六時過ぎ。帰ると娘らはボーッとしてテレビにかじりついている。一年間は約束なので努めたが、二年目は失礼した。人の子の世話をしている場合ではないからだ。夜は八時になると、好きな本を一冊ずつ読んで、寝た。

彼女はまた、シュタイナー教育を信奉している。感性を大事にするシュタイナー教育は今でも健全に生きているんだなぁ、とうれしくなった。これとはやや異なるが同じドイツにバウハウスというのが戦前にあって、美術と建築を教える学校であった。そこでは人が本来持っている感性を高める教育がなされており、その実践の模様が「ザ・ニュービジョン」という本になって出版されていた。今はすでに無いこの本だが、大変知的に触発される本であった。知識を蓄える前に、本能として備わっている感性を磨くということは人として健全に生きてゆく上で最も基本的な、重要なことだと思う。子どもの教育も成績に的を絞るのでなく、感性を基礎として実践して欲しいと願うところだ。

というわけで、私と共通の価値観を持っている人に出会って、久しぶりに幸せな思いをした。末永いおつきあいをお願いできればと思う。実はこの方にはそのお母様に最初に出会った。この母にしてこの子あり、とはよく言われるが、なるほど、なるほど、、、

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というパール・バックの言葉があるが、同じように、人は人間に生まれるのではない、人間になるのだ、と言い換えることもできると思う。周りにいる人が何を子どもに入力するか、この要素は人間形成にとって大きな要素だと思う。

また大人になってからも、素敵な人に出会うことで人生が豊になる。
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高校のとき、英語の教師でモヤシという人がいた。青白い人で、骸骨に皮を被せたように見えるほど痩せていた。

話の冒頭に「ええ」と言う代わりに「ああですなー、」と言っていた(最初の「あ」に強くアクセントを置く)。

先生は階段を下りるとき、正面を向かずに何故か体の右側を前に出して、ちょうど狭い板の間を通るようなふうにして下りていた。風の抵抗を少なくしようとしていたんだろうか。だってあの体じゃ、下から風でも吹き上げようものなら、ふらふらっとそよいじゃいそうなくらい、痩せていたもの。
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